やんわりブログ

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【自分用】答えなんか出てるのに

最近家に閉じこもって、生産性という言葉の真逆を闊歩する僕。今日も妻のお出かけに着いて行けば良いものの、玄関でバッテリーが切れたかの如くやる気が切れてしまい、家に残ることに。

 

これまじでなんなんだろ?

 

来月からの復職が原因なのはわかってる。

考えてもしょうがない事を考えてるのが原因なのもわかってる。

職場での目を気にせず自分の仕事をしたらいいのもわかってる。

今からでもコツコツ努力をして少しでも信頼を積めばいいのもわかってる。

少しでも行動すれば気分がのってくるかもしれないのもわかってる。

 

答えは全部分かっているのになんでできないんだ?

 

やらない方が後々辛くなるのに。もしかして真性のMなのか?こんなクズをネットの中でも中々お目にかかれない。そんな存在なのに何も変わろうともしない。

 

職場復帰しただけでも偉い?家族いるんだぜ当たり前だろ!

自分はプレッシャーに弱い?プレッシャーのある仕事する歳だろ!

答えは全部分かっている?カンニングしただけで自分で導き出してないだろ!

 

自分がない人が自分を1から作る方法ってあるんですかね?考えて行動するって昔はやってた気がするけど、今になって全くしなくなったのはなんでだろ?

 

はぁ

ぜひ「本」にしたい

今週のお題「現時点での今年の漢字
語彙力が無い。表現力も無い。他人の興味を引くような形容詞も使えない。シブがき隊も引くほどに何もない。そんな僕が少しでも上手く文章を書くために始めたのは読書。読書の習慣がなかった訳ではないが、文章を上達させる為には圧倒的に読書量が足りないことに気付いたのだ。
昔の僕は本などに一切の興味もなく、読書から逃げるように部活や遊びに力を注いできた。もちろん読書の必要性など微塵も感じることはなく、自分の人生に良い影響を与えるなど信じられなかった。というか読むのがめんどくさかった。その代償はまぁまぁ大きく、仕事の範疇での文章作成が困難だったり、他人に自分の思いを上手く伝えられなかったりと、僕の場合は生きていくことに必要な手段に大きく影響した。悲惨である。今の僕が恐ろしい程にKYなのはきっと本を読まなかったせいだ。決して流行りのADHDなどという病気ではない。
そんな僕が最近読んだ「会って、話すこと」と「答えより問いを探して」はぜひ現代人のみんなにオススメしたい。前者は会話の大切さについて書かれており、コロナ禍で失いつつある会う必要性を再確認させてくれた。特筆して僕に刺さったのは、自分のことに相手は興味が無いというところ。僕はとにかく自分のことをはなし、相手のことを聞くやつだ。客観的に見ると敬遠されて当然だしKYそのものである。僕だったら決して僕に近づかないレベル。この本はそんな僕がもう少し上手く生きていく為のバイブルになるかもしれない。
もうひとつ「答えより問いを探して」は....ちょっと忘れたので読み返してくる。そうだそうだ、この本を読んで刺さったのは、自分の体験を軸にして考えるということ。降り掛かってくる様々な問いに対して、どんな粗末な答えであっても自分で考えたものでなければならないという言葉が、チャレンジする事をせずに、体験を積んでこなかった自分、降ってきた問にはどこからか探してきた誰かの答えでのらりくらりしてきた自分に深く深く刺さった。刺さったと言うより真っ二つに両断された。この際この世から消して欲しいとまで思えた。
このような本に、今までのクソな自分を殺しにかかってくる本に出会えるようになったのは、ひとえに文章を上手くなりたいという目的のおかげだと思う。目的をもって行動を起こすことの重要さに今更気付いた37歳。今からでも遅くないよね?
という事で、今年からは「文章力をつけるため」という目的を定め、書くことに関連する本であれば好き嫌いせずに読破していきたい。

適応障害の僕が復職を目指して職場に行った 後半

朝目覚めたけど布団から出ず、まだ寝ている小さな息子を自分の体に引き寄せて抱きしめる。そのままの状態で全身に意識を通して捜索し自分を確かめる。休職する前には必ずあった通勤に対する恐怖感は不思議と無かった。仕事に行っていた時に、僕が目を覚まして必ずやっていた事だ。目覚めたら自分の体に不具合が無いかを確かめる。それはいつからか習慣になっていた。休職中はあまりやっていた記憶がなかったのだが、今日からは毎朝やることになるだろう。そう、今日は復職面談の日だ。

引き寄せた息子がまだ寝ぼけているのでこのまま一緒にウトウトしていたいが、生理現象には勝てないので息子に一声かけてしぶしぶトイレへ。何気ない朝の光景に助けられて出勤まで時間を潰す。今日はすこぶる晴れている。

コーヒーを淹れてタンブラーに注いだら少し早めに出発する。久し振りの行ってきますを家族に伝え職場へ向かう。早めに出たのは、道路は相変わらず雪で混雑していて、通勤に時間がかかりそうだったことと、心の中を整理したかったから。車を走らせながら社員に会ったらなんて言おう、とか顔なじみだった門衛さんとの挨拶はどうしようとか、不安の一部を整理する。普段であれば空気の存在のように当たり前にこなしていた事に、今は準備が必要だった。

職場に着いたら門衛に顔なじみの方がいて久しぶりの会話。先方は、僕が何故職場に来なかったのか、詳しくなくても概要は分かっている様子で明るく激励してくれた。そんな暖かい対応に職場への不安が少し安らぎ目尻が滲む。いつもの駐車場に車を停め、5分ほど休憩をする。他人の目を気にしない、面談に集中する、と自分に言い聞かせて面談が行われる会議室に向かう。ここを右に曲がれば社員が沢山いる部屋だなぁと半ば諦めにも似た感覚で足を進めたが、運が良いのか気を使われたのか定かではないが所長と受付の方以外は席を外していた。そんな状況にも助けられスムーズに面談が始まる。内容は書かないが、所長の対応は僕が想像していたよりもだいぶいつも通りで、7割は雑談だった。普段であればちょっと鬱陶しかった昔話も今日ばかりは癒された。自分がこの環境に慣れるためにも、自分がこの場所にいてもよいと確かめる為にも、所長の昔話にかかる時間は僕を救った。

1時間弱の面談を終え、内容をお互いに確認したら会議室を出る。来た時よりも社員が戻ってきていたけど、これまた偶然か気を使われたのか誰とも目を合わすことなく部屋を後にした。

今から帰る事を妻に告げ、車を走らせる。緊張した。でも頑張ったんだ。通勤も部屋に入ることも所長と話すことも。今の僕には精一杯と思うことができたんだ。今日は自分を褒めて許してやろう。そう思うとやっと安堵が込み上げてきた。

昨日から感じていた不安をクリアして、また次の壁に進めたという小さな自信を少しずつ積み重ねていこう。人には個人差というどうしようもない、埋めようのない差があることを受け入れて、自分を蔑むことなく過ごしていくことができるという感覚は、きっと今の僕の心の状態に近いのかもしれない。この感覚は忘れたくないと強く思った。

適応障害の僕が復職を目指して職場に行った 前半

早いもので休職してから4ヶ月が経とうとしている。正確には最初の2ヶ月は有給消化で、残りの2ヶ月は病気休暇。僕の勤務先では病気休暇が満期になった時点から先が休職とみなされるのだけど、僕以外の人からすると病気休暇だろうが休職だろうが休んでいるのには変わりはないと思うので文字数の少ない休職という表現を使っている。そんな僕だけの休職期間もそろそろ終わりを告げようとしていた。先日の診察で復職診断書をもらったのだ。僕の通っているクリニックは、投薬治療がメインでカウンセリングはほぼなく、診察と言っても今の体調などを聞かれるばかりだったから、先生からの言葉を待つのはやめにして今回の復職希望はこちらから切り出した。

僕から希望をだし診断書をもらう決意をしたのは、今後の事を考えるともうそろそろ職場に戻る時期なんじゃないかと感じていたからだ。きっとそうした方が良いと。漠然とした考えの中には、世間体もあるし4月の人事の件もある。もちろん期待できるものではないが、最低限のポジション維持もこの先子ども達を養うためには必要だという、自分以外の理由が九分九厘をしめており、まだ病気休暇は4ヶ月残っているので僕から復職を希望しなければ休職期間は伸ばせた、という自分の中の悪魔側のアドバイスには耳を方向けなかった。

そんな勇気を具現化したような診断書を貰ったのが18時頃だったので、通院は必要だが来月から復職可能という旨を翌日の始業時間頃、心を無にして所長に連絡した。先方から返事が来るまで他のことに集中していれば良いものの、何もかも上の空。僕の悪い癖でどう足掻いても治らない。向こうから投げてこられる球種をずっと考えてしまうのだ。今はバッターボックスに立っているのではなく、準備運動にするただのキャッチボールなので、投げてきたボールをキャッチすればいいだけなのに、頭の中が「いつ返事が来るか?もう来てるかも?どんな事が書かれてるんだろう?」と考えてもしょうがない事をウジウジ考えてしまう。案の定、返事が来るまでの2時間ほどをウジウジと、まるで華奢な中学生のように過ごした。

待ちに待っていない返事が来たのはちょうどお昼時。外での用事を済ませてお昼ご飯を買って帰ろうとした時だった。スーパーマーケットは特売日ということもあり、いつもより賑わっていて、誰もこの僕の胸のドキドキには気づかなかっただろう。

僕の強ばった表情を見て会社からの連絡が来ていると察した妻が黙って助手席で待っていてくれる中、面接可能日が翌日で面談場所は職場と書かれたメールが視界に入ってきた。職場....。当然だ。所長に出向いてもらうのも失礼だし、遅かれ早かれ職場には行くのだ、と思う気持ちが1番に生まれその後すぐに、懐かしい緊張感..いや、不安というのだろうか。モヤモヤとしたネガティブな気持ちに心が支配された。やはりまだ職場が、いや職場の雰囲気が怖いのだ。職場の敷地内にある離のような場所で年間の7割を契約社員の方々のみと過ごす僕は、社員が大勢集まっている建物が苦手だ。あまり顔を出さないから上手く馴染めない上にとても雰囲気が悪い。そんな雰囲気を作り出すみんなの目に怯えている。そんな疎外感を感じ怯えながら訪れなければならない場所での面談に、心が萎縮するのも無理はないと思う。

不安はそれだけではない。復職後の業務がどのようになるか全く情報がないのだ。とりあえず時短だよとか、部署転換で始めるよとかの情報があれば、少しは安心して伺えるのだが、そんな甘い情報は一切ない。僕が想像できる面談内容は今のところ2つ。上司からの正論の叱咤、休日には絶対かかってくる上司からの電話に耐えていくという今までの業務が少しマシになって継続されるのか。もしくは職場の中で仕事が出来ないのに休んだ挙句別部署に異動して穀潰しになっているという目に耐えなければいけないのか。主観でしかないが職場の最悪の雰囲気からはこの2つの道しか残されていない。転勤という今の支店から異動するという物理的な解決方法のみが、僕を救う唯一無二の救助策だというのに、何故かその道はあまりリアルに妄想できないのだ。

そんなことをあーだこーだとダラダラ考えいるうちに、夕食も済み就寝時間が近ずいてきた。もう考えるのはよそう。あまりにネガティブで本当に疲れる。堪忍して職場へ向かおう。仕事なんだから淡交で。周りの目を無視して。そして少しでも明るい未来を想像して面談に臨もうと決心した。

 

失敗や間違いではない。

「そうじゃないそうじゃない!」「あー、そうなるに決まってるじゃん!」「こうやれば大丈夫だから!」これ、僕がゲームをしている子どもに放った言葉です。ひどいですねえ。教育に良い影響を与える事はないのでゴミ箱へポイ。そして反省。

何を行うにも初めてというのは楽しいものだが、必ず下手クソから始まる。冒頭の暴言を受けやる気を失った子ども達が、最近買ってもらった任天堂スイッチで初めてのゲームをしていて上手くいかないのもこれの通り。だってやったことないんだもん。やり方知らないんだもん。説明書だって読めないし。仮に説明書を読めたとしても敵がどんな動きをしてくるかなんて予想はできないし、自分の思い通りにキャラクターを動かすことだってまだ難しい。

かつての自分もそうであったくせに、少しできるようになっているからといって上手くいく方法を教えようとしてしまう。何故か見ていてモヤモヤするのだ。答えは僕の精神年齢が幼いという事で決定しているのだが、問題はそこじゃない。間違えるんじゃない!という感情が問題だと思ったのだ。

現代社会では大人から子どもまで、間違えたり失敗すれば叱られ正される。著名人にでもなれば、個人のSNSへの批判投稿から所属事務所への抗議の連絡が四方八方から行われ炎上する。そして正義をぶつけられる。そんな世知辛い社会の隅っこに身を置く僕は当たり前のように失敗を悪と決めつけていた。だから子ども達にも効率的で早く正解を見つけて欲しいと思い言葉を発するのだ。それは子どもが楽しむ為にやるゲームだとしてもだ。先に進めば新たなストーリーも展開するし、かっこいいキャラクターも手に入る。だから早く。間違えると嫌な気分にもなるし遅くなるから間違えないように早くね!と。

インターネットの力で様々な情報がいとも簡単に手に入れられる僕は、間違うという事を恥じだと思っている。無駄なことは省く。間違えたり失敗している暇はない。だって調べたらわかるから。間違える事はないでしょ?手に持っているスマホをツタツタっと操作したり、マウスをカチカチすればなんだって知ることが出来るんだから。だから、間違えられない。表面上でも答えが分かれば納得していなくても正解しなければいけない。考えに至り癖になってしまったのは社会人になってからだけではない。多分学生時代では正解を見つける教育を受けていたんだと思う。正解を見つけましょう!正解することが正しいのです!と。気づいたら正解、成功することが目的となり、物事に取り組む過程や自分で考えて工夫するということが楽しめなくなっていた。

そんな僕にちゃちゃ入れられた子ども達が他のゲームを始める。僕も知らないゲームだ。僕は子ども達の操作が間違えているのか分からないが、子ども達は悲しんだり怒ったりもしていたが、概ねとても楽しそうにゲームをしている。僕は、今度はじっくりと見ていた。

あぁ、そうか。体験してるんだ。そうだった。自分で考えて行動して失敗してまたチャレンジする。それが楽しいのだ。

子ども達は知っている。楽しむ方法を。僕なんかよりずっとずっとわかっていた。僕がひねくれた親切心を押し付ける必要なんて全くないし、むしろ失敗や間違いといった経験を積むことがとても大切なのだ。そして失敗や間違いではなく、自分のやりたいことが出来なかった。正解、成功ではなく、自分のやりたいことが出来るようになった。そんなふうに考える事ができたら、世の中のネガティブな感情に足を引っ張られることもなく、前を向いて問題にチャレンジしていけるだろう。そしてきっとこの先身の回りに起こる事はワクワクするような事に変化する気がする。

自分のやりたいことが何なのかを考えることができて、それを自分で実行し達成する。時には考えた事と違う結果に満足しても面白い。子ども達にはそんな自由で豊かな考え方ができるようになって欲しい。

だいぶ遅いけれど僕もいずれそうでありたい。

妻と一緒にお昼ご飯を食べる

「今日のお昼ご飯、なんにする?」

このセリフは僕が休職してから毎日ずっと妻にかけている言葉の一つだ。

僕は料理ができるほうだと思う。料理が好きなわけではないが、自分で何かを作ったりすることが大好きなので、その一環として料理を作るようになりレパートリーが増えているだけだけど。

妻は決まって「んー...なんにしようか」と返してくる。

妻はあまり主張が強くない。だいたい僕の提案を飲んでくれる。唯一主張があったとすれば子どもの名前を決める時くらいで、他に目立った主張があった記憶はない。先日も僕が「カレー食べたいけどどう?」って提案すると二つ返事でOKが返ってくる。

こんな主張のない妻だけど、実はめちゃくちゃ真のある強い女性なのだ。子どもに対する育児や教育だったり大好きな旅行の計画だったりインテリアだったり、全てにおいて主張が、いわゆる「妻らしさ」があふれんばかりに反映されている。

何度か引っ越しをして住む都道府県が変わっているのに、家の中は絶対に昔から住んでいる家族の家になっているのだ。部屋数が変わったり間取りが変わったりしていてもだ。ただ持ってきたものを自然に飾っているだけでこうなるのは妻らしさがあふれているからだろう。

そして休職中のデブ(僕)が毎日家にいても文句の一つも言わない。コロナ禍で夫が家にいっぱなしになり離婚する夫婦が急増したというニュースが嘘のようだ。むしろ一緒にウォーキングや昼寝やドラマを楽しんでくれている。

僕は本当に恵まれていると実感する。当たり前になってしまう時もあるけれど、こんな僕のそばにいてくれて感謝している。

そんな妻と、今日も僕が作ったお昼ご飯を食べる。

歯科医院でごんぎつね

何かを食べた後、何かが奥歯に詰まっている。

絶対に詰まるようなことが無い奥歯の平面上に、あの肉とか野菜とかを前歯でちぎった後にすり潰す場所に何かが鎮座している。歯を磨いても取れない。そんなにくっつく物食べたっけ?ボンド食った?ってくらいくっついてるけど。ベジータ!って叫ぶ時くらい限界まで口を広げても鏡に映らず異物の正体を見ることが出来ないので、恥を忍んで妻に見てもらうことに。

「あー、虫歯だねこれ」

まじかぁ.....詰まっていた物が何なのか判明する喜びが一転、虫歯という歯医者に行かなければ治すことができないくっそめんどい病になっていた悲しみとなり、その落差が僕を襲う。そんな現実をオブラートにも包まずぶつけてくる妻に僕は「それはショックだけど詰まってた物なに?」と聞き返す。僕を苦しめていた異物は硬い系のパンに入ってるゴマっぽい何かで、それが虫歯にハマっていたそうな。

虫歯の何が嫌って、さっきも書いたけど歯科医院に行かないと治らないし、ほっておいても治らないとこ。そして「匂い」だ。治療のどっかで絶対にくっっさ!って思いする記憶があってそんなクサイ物を口に入れなきゃいけないのがめっちゃ嫌なのだ。ただそんなこと言ってもいられないのでしぶしぶ予約をすることに。もっとちゃんと歯磨きしときゃ良かったと後悔したことは言うまでもない。

診察当日、大雪なのに近所の為歩いて行かされテンション下がっている僕の前に見えてきたのはお世話になる歯科医院。北国特有の2重の玄関の1枚目を開き、頭や肩に積もった雪を落とす。体の全面にもびっしりと雪がへばりついており、今日の気温の高さを思い出す。受付を済ますと早速ユニットへ移される。テキパキと説明をしてくれる歯科衛生士さんの話も僕には半分しか入ってこない。これから起こる口内での出来事が容易に想像でき憂鬱なっていた。

歯の状態を確かめる為の一連の作業が終わり早速治療へ。反対側の奥歯にも小さな虫歯が見つかりさらにテンションが下がった僕は大きな口を開けまな板の鯉になる。麻酔が終わり歯を削り始また時に「あれ?臭いヤツっていつだっけ」と嫌いな臭いヤツを口に入れるタイミングがまだな事に気付いた。結構早かったと思ったけどまだだなー、と考えいるうちに削り終える。あとは型どりして終わり。もしかして臭いヤツないパターン?と思った瞬間、型取りのために口に入ってくるスライムみたいなやつから激臭が走る。お前だったのか...ゴン、くらいしみじみと、このタイミングだったのね...匂いとなり、無事に歯科医院の臭いヤツをくらって帰った僕だった。