やんわりブログ

ブログを生活の一部に

失敗や間違いではない。

「そうじゃないそうじゃない!」「あー、そうなるに決まってるじゃん!」「こうやれば大丈夫だから!」これ、僕がゲームをしている子どもに放った言葉です。ひどいですねえ。教育に良い影響を与える事はないのでゴミ箱へポイ。そして反省。

何を行うにも初めてというのは楽しいものだが、必ず下手クソから始まる。冒頭の暴言を受けやる気を失った子ども達が、最近買ってもらった任天堂スイッチで初めてのゲームをしていて上手くいかないのもこれの通り。だってやったことないんだもん。やり方知らないんだもん。説明書だって読めないし。仮に説明書を読めたとしても敵がどんな動きをしてくるかなんて予想はできないし、自分の思い通りにキャラクターを動かすことだってまだ難しい。

かつての自分もそうであったくせに、少しできるようになっているからといって上手くいく方法を教えようとしてしまう。何故か見ていてモヤモヤするのだ。答えは僕の精神年齢が幼いという事で決定しているのだが、問題はそこじゃない。間違えるんじゃない!という感情が問題だと思ったのだ。

現代社会では大人から子どもまで、間違えたり失敗すれば叱られ正される。著名人にでもなれば、個人のSNSへの批判投稿から所属事務所への抗議の連絡が四方八方から行われ炎上する。そして正義をぶつけられる。そんな世知辛い社会の隅っこに身を置く僕は当たり前のように失敗を悪と決めつけていた。だから子ども達にも効率的で早く正解を見つけて欲しいと思い言葉を発するのだ。それは子どもが楽しむ為にやるゲームだとしてもだ。先に進めば新たなストーリーも展開するし、かっこいいキャラクターも手に入る。だから早く。間違えると嫌な気分にもなるし遅くなるから間違えないように早くね!と。

インターネットの力で様々な情報がいとも簡単に手に入れられる僕は、間違うという事を恥じだと思っている。無駄なことは省く。間違えたり失敗している暇はない。だって調べたらわかるから。間違える事はないでしょ?手に持っているスマホをツタツタっと操作したり、マウスをカチカチすればなんだって知ることが出来るんだから。だから、間違えられない。表面上でも答えが分かれば納得していなくても正解しなければいけない。考えに至り癖になってしまったのは社会人になってからだけではない。多分学生時代では正解を見つける教育を受けていたんだと思う。正解を見つけましょう!正解することが正しいのです!と。気づいたら正解、成功することが目的となり、物事に取り組む過程や自分で考えて工夫するということが楽しめなくなっていた。

そんな僕にちゃちゃ入れられた子ども達が他のゲームを始める。僕も知らないゲームだ。僕は子ども達の操作が間違えているのか分からないが、子ども達は悲しんだり怒ったりもしていたが、概ねとても楽しそうにゲームをしている。僕は、今度はじっくりと見ていた。

あぁ、そうか。体験してるんだ。そうだった。自分で考えて行動して失敗してまたチャレンジする。それが楽しいのだ。

子ども達は知っている。楽しむ方法を。僕なんかよりずっとずっとわかっていた。僕がひねくれた親切心を押し付ける必要なんて全くないし、むしろ失敗や間違いといった経験を積むことがとても大切なのだ。そして失敗や間違いではなく、自分のやりたいことが出来なかった。正解、成功ではなく、自分のやりたいことが出来るようになった。そんなふうに考える事ができたら、世の中のネガティブな感情に足を引っ張られることもなく、前を向いて問題にチャレンジしていけるだろう。そしてきっとこの先身の回りに起こる事はワクワクするような事に変化する気がする。

自分のやりたいことが何なのかを考えることができて、それを自分で実行し達成する。時には考えた事と違う結果に満足しても面白い。子ども達にはそんな自由で豊かな考え方ができるようになって欲しい。

だいぶ遅いけれど僕もいずれそうでありたい。