やんわりブログ

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適応障害の僕が復職を目指して職場に行った 前半

早いもので休職してから4ヶ月が経とうとしている。正確には最初の2ヶ月は有給消化で、残りの2ヶ月は病気休暇。僕の勤務先では病気休暇が満期になった時点から先が休職とみなされるのだけど、僕以外の人からすると病気休暇だろうが休職だろうが休んでいるのには変わりはないと思うので文字数の少ない休職という表現を使っている。そんな僕だけの休職期間もそろそろ終わりを告げようとしていた。先日の診察で復職診断書をもらったのだ。僕の通っているクリニックは、投薬治療がメインでカウンセリングはほぼなく、診察と言っても今の体調などを聞かれるばかりだったから、先生からの言葉を待つのはやめにして今回の復職希望はこちらから切り出した。

僕から希望をだし診断書をもらう決意をしたのは、今後の事を考えるともうそろそろ職場に戻る時期なんじゃないかと感じていたからだ。きっとそうした方が良いと。漠然とした考えの中には、世間体もあるし4月の人事の件もある。もちろん期待できるものではないが、最低限のポジション維持もこの先子ども達を養うためには必要だという、自分以外の理由が九分九厘をしめており、まだ病気休暇は4ヶ月残っているので僕から復職を希望しなければ休職期間は伸ばせた、という自分の中の悪魔側のアドバイスには耳を方向けなかった。

そんな勇気を具現化したような診断書を貰ったのが18時頃だったので、通院は必要だが来月から復職可能という旨を翌日の始業時間頃、心を無にして所長に連絡した。先方から返事が来るまで他のことに集中していれば良いものの、何もかも上の空。僕の悪い癖でどう足掻いても治らない。向こうから投げてこられる球種をずっと考えてしまうのだ。今はバッターボックスに立っているのではなく、準備運動にするただのキャッチボールなので、投げてきたボールをキャッチすればいいだけなのに、頭の中が「いつ返事が来るか?もう来てるかも?どんな事が書かれてるんだろう?」と考えてもしょうがない事をウジウジ考えてしまう。案の定、返事が来るまでの2時間ほどをウジウジと、まるで華奢な中学生のように過ごした。

待ちに待っていない返事が来たのはちょうどお昼時。外での用事を済ませてお昼ご飯を買って帰ろうとした時だった。スーパーマーケットは特売日ということもあり、いつもより賑わっていて、誰もこの僕の胸のドキドキには気づかなかっただろう。

僕の強ばった表情を見て会社からの連絡が来ていると察した妻が黙って助手席で待っていてくれる中、面接可能日が翌日で面談場所は職場と書かれたメールが視界に入ってきた。職場....。当然だ。所長に出向いてもらうのも失礼だし、遅かれ早かれ職場には行くのだ、と思う気持ちが1番に生まれその後すぐに、懐かしい緊張感..いや、不安というのだろうか。モヤモヤとしたネガティブな気持ちに心が支配された。やはりまだ職場が、いや職場の雰囲気が怖いのだ。職場の敷地内にある離のような場所で年間の7割を契約社員の方々のみと過ごす僕は、社員が大勢集まっている建物が苦手だ。あまり顔を出さないから上手く馴染めない上にとても雰囲気が悪い。そんな雰囲気を作り出すみんなの目に怯えている。そんな疎外感を感じ怯えながら訪れなければならない場所での面談に、心が萎縮するのも無理はないと思う。

不安はそれだけではない。復職後の業務がどのようになるか全く情報がないのだ。とりあえず時短だよとか、部署転換で始めるよとかの情報があれば、少しは安心して伺えるのだが、そんな甘い情報は一切ない。僕が想像できる面談内容は今のところ2つ。上司からの正論の叱咤、休日には絶対かかってくる上司からの電話に耐えていくという今までの業務が少しマシになって継続されるのか。もしくは職場の中で仕事が出来ないのに休んだ挙句別部署に異動して穀潰しになっているという目に耐えなければいけないのか。主観でしかないが職場の最悪の雰囲気からはこの2つの道しか残されていない。転勤という今の支店から異動するという物理的な解決方法のみが、僕を救う唯一無二の救助策だというのに、何故かその道はあまりリアルに妄想できないのだ。

そんなことをあーだこーだとダラダラ考えいるうちに、夕食も済み就寝時間が近ずいてきた。もう考えるのはよそう。あまりにネガティブで本当に疲れる。堪忍して職場へ向かおう。仕事なんだから淡交で。周りの目を無視して。そして少しでも明るい未来を想像して面談に臨もうと決心した。