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大人数

おお‐にんずう〔おほ‐〕【大人数】の解説
人数の多いこと。また、多くの人。多人数。おおにんず。

 

4人家族の我が家に親戚が合流して早4日目。親戚家族は6名なので我が家の4名と合わせて10名となり、騒がしさはもう今年1番と言っていいんじゃないか?という域に達している。群れとなった子ども達は集団の影響を受けさも自分は強くなった、偉くなったと過信してしまい、普段では見せない大胆な行動に出てしまっている。まさに怪獣である。「静かにしなさい!」のと言う言葉の効き目は、社畜の正月休みよりも遥かに短く、狭くなった部屋に虚しく響き渡るだけだった。

食事、移動、遊び、睡眠、団欒と言った日常も大人数となると非日常に変わり、どんな出来事にも何気ない瞬間にもいくつもの気づきが生まれた。僕を含めた大人達は子ども達の溢れるエネルギーに、自分も小さかった時はあんなだったなぁと、自身の若い頃を重ねたに違いない。そして子どものころの僕もきっと大人達にそう思われていたんだろう。

僕の小さい頃は今とは?違って、何かしら行事があれば本家に親戚が寄り集まることが多かった。祖父の法事などでは必ず4~5家族集まって祖父を思いつつお互いの家庭の近況報告が行われていた。親戚の集まる日はお寿司やオードブル等がテーブルいっぱいに広がり、親戚のお兄ちゃん達は自分の年代では絶対に知り得ない魅力的で大人な世界を見せてくれた。時には怖い叔父さんに、普段怒られないようなことで怒られたりもしたが、僕にとって大人数を身近に感じる時はいつも親しい誰かに囲まれた幸せな時だった。

しかし今では各家庭との距離も遠く滅多なことでは集まりに顔を出すことはなくなってた。僕は日々生活を送る中で親戚付き合いというものが少し疎ましい存在に思えるようになっていた。それは世界で猛威を振るってるウイルスのせいだけではなく、僕の人生がそうさせていた。離婚や離職など、生きていく中で出来れば避けたいイベント体験を積んだせいだろうか?それとも単に僕が面倒くさがりだからだろうか?どちらにしろ、あんなに大好きだった親戚のお兄ちゃん達とはもう10年近く会っていない。大人数が好きだった僕はもういないのである。

そんな僕でも付き合いをやめたくない家族があって、今でも親交を続けているのが今回も遊びに来てくれたのが実の姉家族だ。姉夫婦には命を助けて貰ったに近い恩があったり、母の病気の治療に必要な臓器移植の件でずっと一緒にいた事もあり、僕にとっては数少ない居心地のよい夫婦だ。お互い適度な距離感でいられるのは子ども達の存在も大きい。会えばもみくちゃなり遊んでくれる従兄弟は僕の子ども達にとってかけがえのない存在なんだと感じる。

僕は今、僕が小さかった頃の怖いおじさんポジションとなり、子ども達と遊んではお行儀の良くない時は叱ったりする。こんな時間が楽しく有意義に感じられるようになってよかったと感じ、ゲームをする子ども達の背中を見ながら親戚付き合いから距離を置いた自分の事をもう一度思い出し考える。きっと楽しく感じられなかったのは、楽しませて貰っている存在から楽しませる存在にならなければいけなかったのに、それに気付かず過ごしていたからでもあるんじゃないかと。当たり前すぎる事に今更気づくなんて情けなさすぎるけど。

人に歴史ありというように僕にも山あり谷ありあったはず。いやあった。そこで得たものもあれば失ったものもある。そんな僕の人生にもう一度昔のような大人数での楽しみを見いだせるかは分からないけれど、少なくとも今ある大人数での付き合いを大事にしていこうと改めて思えた。