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最後を回避してしまう病

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こんにちは、バチェラーJAPANシーズン4の最終回を見終わったやんわりです。

みなさんは「最後を回避してしまう」って事はありますか?例えるなら「ゲームのラスボス手前でやめてしまう」や「ドラマの最終回を観ずに終わる」という感覚です。

妻に聞いたら「むしろ私は先に最終回を見てしまう場合もある」と僕の想像した返答バリエーションの斜め上が返ってきました。

今回のテーマ「最後を回避してしまう病」なんですけど、絶対に回避してしまう訳じゃなくて何となく興味が無くなるというか、目や手が向かなくなるんですよね。バチェラーも途中はかなりの熱量を持って観てたんですが最終回になると正直どっちでもいいなーと思ってきて、結局見たけど感動もあまりなく。

妻の「キャー!コウコウー(バチェラー)!」っていうテンションで最終回を味わう姿が凄く魅力的に見えて、羨ましいに近い感情が芽生えたんです。だからこの「最後を回避してしまう病」の原因を突き止めたくて色々考えてみました。

 

 

最後を回避してしまう人生

1番記憶に残っているのは中学生の時。ゼノギアスというゲームにどハマりて大人になるまでに9回ほど繰り返しプレイしたにも関わらず、1度しかラスボスを倒しておらずエンディングもほぼ覚えていないというお粗末っぷり。ゼノギアスの前半が面白すぎるのと後半の失速具合がラスボス討伐の魅力を奪ってしまったのか。その他ジャンピングフラッシュ2のカピタン鈴木も倒していないし、FF8はディスク4に移行できず。

ドラマで言えば結婚できない男阿部寛が最後どうなったのかは謎のままだしその他のドラマも大概最終回は観ていない。観たとしても毎度の如く感動がない。今回のバチェラー4もふーんって感じ。残りの人生も最後を楽しめないまま過ごすのか。

 

 

途中が1番面白い

物語がスタートして面白さが熱を帯びて来たところがおそらく中盤以降だと思う。ゲームなら中ボスを倒して主人公達の能力が開花したりする頃。船や飛空挺を手に入れ自由に世界を駆け回る楽しさに夢中になる。そんな「物語の途中」の楽しさが終わってしまった頃が終盤になるので、そこで燃え尽きてしまうのかもしれない。

 

 

飽き性

僕は超飽き性だ。何かに興味を持って手をつけても、コツを掴んだくらいでやめてしまう。ちょっとでも違うと思ったらコツを掴む前にやめてしまうヘタレだ。習い事も1年続いたものはなく、中学の部活が唯一続いたものだ。お恥ずかしい話仕事も長く続いていない。なぜか3~5年で転職をする。もちろん飽きたという理由ではないが、転職回数は多い方に入るだろう。そんな僕だからゲームや物語自体に飽きてしまっている可能性がある。

 

 

自分の想定外に耐えられない

物語が終盤にさしかかると誰でも推測してしまうんじゃないか。僕もよく推測するんだけど少し先の推測が外れたくらいで物凄く恥ずかしくなる。誰もそんな事気にしないのはわかってるんだけど恥ずかしい。もちろん想像力の低さや物語の脈絡を読めていないだけといった能力の低さが原因なんだけど、これを認められない。本当にこのカスみたいなプライドを宇宙のデブリにぶつけて消滅させたい。最後を観ないという選択をして自分を守っているのかも。しょうもなさすぎて草

 

 

物語が終わって欲しくない

ネットで調べた結果、この理由が多いようだ。確かに一理ある。「この雰囲気、もう少し進んだらエクスデスおるな」と感じると物語の終わりを実感して寂しさが込み上げてくる。またここまで育てたキャラクターをこれ以上操作出来なくなることも寂しい。もうあの魔法も必殺技も使う必要無くなるのかーと思うと手が止まってしまう。

 

 

まとめ

僕が最後を回避してしまう病なのは

途中は楽しめるけど物語の最後を推測しきれずに変なプライドを守る飽き性な寂しがり屋

ということになった。結構な酷い結果に顔面が真っ赤になりつつあるが、これを認めなければ先に進めない。今度からは

無駄な推測はせずその場に感動し飽きないよう楽しんで主人公達の最後を見届ける

というふうにやれば良い。

みなさんの「最後を回避してしまう病」に当てはまる物はあったでしょうか?物語は完結させましょうね。

 

ミァン萌え