やんわりブログ

ブログを生活の一部に

ゲームへの思い

コロナ禍で自宅に居る時間が長くなり見直される家での過ごし方。オンライン飲み会といった新しいコンテンツが生まれる中、再注目を浴びたの過ごし方にゲームがある。先日集合住宅の我が家にもサンタが来たらしく、任天堂Switchとソフトを2本置いていってくれた。子ども達がゲームに夢中になっている姿を見て、昔僕も夢中になってゲームをやっていた事を思い出した。

 

 

僕はゲームが大好きだった。保育園の時は兄のやっているカプセル戦記を訳もわからずやっていた。それから時代はスーパーファミコンに。初めて買ったドラクエⅣは主人公がかなり辛い人生を送る物語で有名。敵の強さのバランス、登場人物の個性、結婚・出産というシステム。どれも素晴らしくのめり込んだ事は言うまでもない。兄に冒険の書を消されてもめげずに最初からチャレンジした。中学生になるとプレイステーションという化け物が繰り出すソフトに酔いしれた。特に3DになったFF(エフエフね!)に驚愕した。そして出会うゼノギアス。1日10時間やり続けるほどにハマった。

そんなゲー厶づくしの学生時代が終える頃、僕のゲーム熱は昼の空気が夜の空気に変わるように少しずつ冷め始めた。それから現在に至るまで、学生時代のようにゲームにのめり込むことは無くなった。大人になるとゲームを楽しめなくなる側の人だったのだ。

今もゲームをしていないかと言うとそうでは無い。スマホゲームやPCゲームを少しはやっている。ただ圧倒的に昔のゲームの方が楽しいのだ。もちろん思い出補正はガッツリかかっていると思う。しかし課金さえすれば無敵になれるソシャゲや少しネットで検索すれば出てくる攻略情報。YouTubeにはゲーム実況が流れ、自分で切り拓くというゲーム本来の楽しみ方はどこに行ったのか。

今のゲームの構図は、簡単に出来る→簡単だから練習しない→練習しないから弱い敵に負ける→簡単なゲームの筈なのにクリア出来ない→自尊心が砕ける→自尊心を保つために本気じゃないと誤魔化すor課金して強くなる、という自己研磨をする事が難しい生産性の少ないゲームだ。

一方昔のゲームは、難しくて覚える必要がある→必然的に練習する→練習するからレベルの合う敵には負けない→負けないから弱い敵に飽きる→強い敵にチャレンジしたくなる→更に実力が着く、という成長する為必要なものを教えてくれるゲームだった。

だけど...もしかするとそんな楽しみ方がもう既に古いのかもしれない。今は、何よりも効率的に、誰よりも圧倒的にゲームをする事がスマートなのかもしれない。自分と向き合うゲームをする環境も必要ないのかもしれない。

全て対外向けに結果を示す為の、自己顕示欲を満たす為のゲーム。そんなゲームを現代社会の縮図だと感じているのは僕だけだろうか。

いつの時代も「楽しい」を生み出してきてくれたゲーム。時代や形は変わっても、楽しいことを感じさせてくれるゲームであってほしいと願う。そして現代のゲームを楽しむ子ども達を見て、純粋に物語やシステムを楽しむという事を感じて欲しいと思う僕だった。